繰り上げ法要
先日、県仏教会の会議中の事。
「最近、やたらめったら77日忌を繰り上げる旨を掲載する死亡広告が増えた。」
「この傾向は由々しき問題だ!」
と言う意見で全会一致しました。
そもそも、77日忌はなぜ行うのでしょうか?
昔、お釈迦様が菩提樹の下で瞑想していると、49日目に悟りの境地に入られたそうです。
そこで、我々も49日間、閻魔大王などに生前の行いを吟味してもらい、後生の行き先が決まると言われております。
まぁ、簡単に言うと、成仏の準備ですね。
そして、この道程こそが死へのプロセスの根幹を成していると思います。
つまり、仏教の死生観です。
それを、省くとは・・・。
生は死の鏡であり、死は生の始まりだと思います。
その死を軽んずる事は、生への冒涜でしかありません。
な~んて、誰もそこまで深く考えていないでしょうが。
それでも、言います。
繰り上げ法要なんて、本来有りません。
そんなもの、身勝手な人間の浅はかな知恵です。
3・7日忌に7・7日忌を併せて行うなんてのも、出来ません。
そんな都合の良い作法はありませんし、逆にその方法を伝授して下さい。って言いたい。
例えて言うなら、小学校の入学式と卒業式を同時に行う様なものです。
それって、有りですか? ナシですよね。
もちろん、こういった事を説明して来なかった僧侶側にも問題があります。
でも、自分の都合に合わなければ、簡単に変更してしまうと言う考え方に、奢った人間の悲しい性を見てしまいます。
今一度、考えて下さい。それだけの価値がありますから。
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