2008年09月27日
東寺と高野山
真言宗はもともと弘法大師が開教した平安仏教の一派です。
しかし、時代が下るにつれ、色々と大人の事情がありまして、
今では十八大本山と言われる位に枝分かれしてしまいました。
その中で、中心になってきたのが東寺と高野山でした。
東寺は都にあって、布教の要として、
高野山は、人里離れた霊峰にあって、修業の場として
お互いに関わりながら、真言宗の歴史を刻んできました。
この東寺と高野山と言う二大寺院の関係は、実はそのまま
真言宗の根本の教えに繋がっているのです。
と言うのは、真言では
「この世は唯一つのものだけでは成り立たない、必ず二つで一つ。」
と考えます。
例えば、男と女。精神と肉体。右手と左手。
とまぁ、こんな感じです。
ですから、東寺と高野山はそんな真言宗の教えを体現している寺院なんです。
この「二つで一つ」論は、色んなものに適用出来ますから、色々試してみて下さいね。
では、久しぶりの真面目な長文でした。
しかし、時代が下るにつれ、色々と大人の事情がありまして、
今では十八大本山と言われる位に枝分かれしてしまいました。
その中で、中心になってきたのが東寺と高野山でした。
東寺は都にあって、布教の要として、
高野山は、人里離れた霊峰にあって、修業の場として
お互いに関わりながら、真言宗の歴史を刻んできました。
この東寺と高野山と言う二大寺院の関係は、実はそのまま
真言宗の根本の教えに繋がっているのです。
と言うのは、真言では
「この世は唯一つのものだけでは成り立たない、必ず二つで一つ。」
と考えます。
例えば、男と女。精神と肉体。右手と左手。
とまぁ、こんな感じです。
ですから、東寺と高野山はそんな真言宗の教えを体現している寺院なんです。
この「二つで一つ」論は、色んなものに適用出来ますから、色々試してみて下さいね。
では、久しぶりの真面目な長文でした。
Posted by リョウケイ at 11:47│Comments(0)
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