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2013年01月15日

繰り上げ法要

ここ数年、繰り上げ法要がブームです。

本来、繰り上げ法要は、離島や外国在住等の遠方の親族が
葬儀・初七日忌・七七日忌等で何度も集まれない状況から、一度で済ませてしまう便宜上の手段でした。

それが数年前から、年末を挟んで新年をまたぐのは「縁起が悪い」と言う習慣(迷信)が生まれ、
いつの間にか、当たり前の様になってしまいました。

皆さんも新聞の死亡広告欄に
「尚、七七日忌の儀は、繰り上げ法要として、初七日忌に一緒に行います。」
なんて一文を見た事ありませんか。

でも、それってビミョーです。
何故なら、家族は初七日忌後も粛々と法要を続けています。(繰り上げてないじゃん!)
また、理由が、共働きで人手不足なのに、外からのお客様を毎週相手する事が出来ないとか、
家族だけでのんびり過ごしたいと言うのです。

七七日忌法要は、故人と縁で結ばれている残された全ての人が故人に感謝し、今生の別れを惜しむ最後の機会だと思います。
もちろん、告別式でそれらの役割は果たせますが・・・。
それだけではなく、四十九日間と言う永遠の様な凝縮された時間を掛けて、気持ちを整え、故人を送り出す心構えを備える必要があるのです。
それに、故人は家族のみならず友人や地域の人に支えられて、その人生を送る事が出来たのではないでしょうか?
その人生の恩人達に家族が感謝を代弁する事は、いつするのでしょうか?

そう言う意味で、現在の葬儀は故人中心ではなくなっているように感じられます。
今の中心は、生きている人だけになっています。
死んだ人は、何も言いません、言えません。
その声なき声に耳を傾け、故人の冥福と浄土への旅立ちをサポートするのが、供養の本義です。

そこから逸れて、生きている人の都合に合わせて、葬儀が変容していく現在の在り方に不安を感じる今日この頃です。


もちろん、こういった状況をしっかりと教えていない宗教者が一番悪い事は言うまでもありませんが・・・。




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Posted by リョウケイ at 15:10│Comments(0)法事
 
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